義肢(義足・義手)装具のご用命は、(株)洛北義肢へ

当社製造一係主任が「まるごとガイド」に紹介されました(2005年3月取材)


 2005年 日本義肢装具士協会監修 ミネルヴァ書房出版 「まるごとガイド」の「資格のとり方・仕事のすべて 義肢装具士」の中で、当社の製造一係主任である吉田剛が紹介されました。
彼がなぜ義肢装具士としての道を選んだのか、苦労をやる気にかえる彼の取り組みを感じ取ってください。


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取材先 洛北義肢 仕事○義肢装具製作所勤務の義肢装具士

義足のプロとして自分の存在を高めて行きたい

ベルトひとつも手作りする完全オーダーメイド

京都市内北部、洛北は、豊かな自然と神社仏閣などの文化遺産に恵まれた土地である。
洛北義肢は代表的な文化遺産、金閣寺からほど近い山の上にある。1973年創業、従業員68名(うち義肢装具士27名)の洛北義肢は、業界で大手に数えられる義肢装具製作所である。
訪問した作業場は、本社近くに新設されたばかりで、まだ新しい建材の香りが残る。大きな工作機械やミシンがあり、カンカン、トントン、ガダガダなど、さまざまな音が入り交じる作業場は、一見、町工場のようでもあり、石こうの足型などがぽんと置かれているさまは、アーティストの工房にも見えないではない。
吉田剛さんは、製造部製造一係主任。義肢専門のチームとして、作業場の一角で製作を行っている。作業場には、ミシンもあり、工具も金具もそろっているため、作ろうと思えばバッグでも家具でも、たいていのものはできてしまうと吉田さんは言う。
さらに「義足のベルトひとつも革から切り出して、ミシンで縫いますよ」と手作りのベルトがついた、義足の完成品を見せてくれた。型どりから完成までまさにオーダーメイド。同社では、義肢に関しては、吉田さんたちの部署が、一人ひとり、責任を持って型どりから納品までを受け持ち、製作する。
装具のほうは義肢と違い、病院やリハビリテーションセンターなどを回る営業と製作の2部門に分かれ、さらに製作も3つの部署に分かれた分業制。作業場の大半のスペースは、装具の部署が占めている。

義足を使う側から、提供する側に

入社して7年。神奈川県出身の吉田さんがPOになり、京都で働くことになったきっかけは、16歳のときに遭った交通事故だったという。この事故で義足を使うことになり、初めてこの仕事の存在を知った。このとき担当したPOが、高校卒業後の進路を迷っていた吉田さんにこの道を勧めたそうだ。
「いま思えば、POのなかでもかなり素晴らしい技術を持った方だったんです」というように、製作してもらった義足は、その日につけて帰れるくらい何のトラブルもなかったのだが、吉田さんは、用事がなくても病院に「遊びに」いくようになった。「個人的に興味が出てきて、学校より病院がおもしろいくらいでしたね」という。担当のPOのくる日をねらって病院にいったり、理学療法士のところに顔を出したり、リハビリテーションの施設を見学したりしていた。そんな吉田さんのようすを見ての提案だったのだ。
サラリーマンには向かないと常々感じていたうえ、自分も使っている義足を提供する側に回ることは、自分を十分生かせる道だと感じ、養成校に入学した。

民間企業には利潤追求も必要

進んだ養成校は、吉田さんの自宅からは、片道2時間半。朝は通勤ラッシュにもまれ、製作で夜遅くなると、一杯飲んだサラリーマンでいっぱいだ。そのうえ、まわりには大学に進学した友人が多く、「いま思えば専門学校に進んで正解だったと思いますけどね」と言うが、当時、ひとりであくせく勉強するのはつらかったという。
就職は、臨床実習で訪れた洛北義肢にあっさり決めた。実習時、吉田さんが会社に対して好印象を持っていたのと同時に、同社の坂本社長が、実習後、何度も吉田さんに、洛北義肢への就職を勧めていた。義肢を専門にしたかった吉田さんにとって、義肢部門で誘ってくれたことも魅力的だったという。
しかし、いざ働き出してみると、「思っていた仕事とだいぶギャップがありましたね」と吉田さん。
洛北義肢に限らず、義肢製作所の大半は民間企業である。当然、利潤を追求しなければならない。人を援助する仕事であることに変わりはないのだが、そこに利潤追求という一見相反して見える目的が存在するのだ。身体の不自由な人に義肢を作って、何十万の金額を請求することへの抵抗はなかなか消えなかった。
そのうえ、学校を出たばかりで、満足のいく義肢ができるわけでもないのに、周囲の期待は大きく、最初の1年はかなりもがいたのだそうだ。

忙しさのなかで、技術も心も成長

この苦悩は、2、3年続いたのだが、そのうち、悩んでいるひまもなく忙しい日々が約1年続いた。9時に出社して翌朝まで、寝ずに働くような状態になった吉田さんだが、「この1年がいちばん成長しました」と振り返る。
もちろん納期を延ばすことは不可能ではないが、それは気持ちとしてできなかった。自らがユーザーであるから、ユーザーが楽しみにしているのがわかる。POが病院を訪れるのは、たいてい週に1回程度。その1回を逃すと最低1週間は納品が遅れる。次の週にユーザーの都合が悪ければさらに遅れる。
そうして、必死で数をこなしていくなかで、自分が製作する義肢に自信が持てるようになると、悩みも消えていったのだそうだ。何十万という金額も、それに見合うだけのものが提供できる自信がついたことで、ためらわずに請求できるようになったのだ。

表情でユーザーの心を感じる

こうして積み上げてきたキャリアのなかで、吉田さんがいちばん気をつけているのは、痛いと感じるような義足はユーザーに渡さないということ。遠慮して「痛い」と言ってくれないユーザーもいるのだ。本人にしかわからない、その気持ちを引き出すのもPOの技だ。どんな小さなことでも相談してほしい、「無理なら無理と言うから、とりあえず言ってほしい」と言うのは、自分が義肢のプロだからだ。
いったん信頼関係ができれば、互いにオープンに接することができるそうだが、最近では、もう一歩進んで、表情から気持ちを読み取る努力をしている。
その結果、言葉にする前の表情だけで、「どこか痛いな」「具合が悪いな」と察することができるようになってきたという。
自分がユーザーでもある吉田さんは、ユーザーの信頼が得やすい立場にある。しかし、それだけで信頼を得るのが嫌で、あえて言わないことも多いのだとか。「知れたときに、ユーザーさんから、へえ、そうだったの、と言われるのは、快感です」と笑う。

自らの存在価値にこだわる

話をしていると、その端々に、仕事が「おもしろいですね」という言葉が出てくる。その一方で、むずかしいのは、この仕事にはゴールがないということ。たとえユーザーがこれでOKだといっても、もっとよくなるのではないかと思ったら、常に試してみるという吉田さんには、百点満点はけっしてない。
しかし、それがむずかしさでもあり、おもしろさでもあるという吉田さんは、技術の水準を向上させるための勉強にも熱心だ。研究会や学会、セミナーにはできるだけ参加している。義肢装具製作技能士の1級の資格もつい先日取得した。養成校の講師もつとめ、休みの日もつぶれるが、学生からも学ぶことは多いと語る。
将来は、義足のプロとして自分の存在価値を高めたいという気持ちを常に持っている。家族とともに京都にしっかり根を下ろしたいま、「洛北に吉田あり」といわれる義足のプロをめざす。(取材は2005年3月)

株式会社洛北義肢●DATA

京都府京都市。1973年創立。義肢装具、スポーツ用装具、コルセット、車いすなどリハビリテーション機器の製造、販売、開発を行うほか、福祉専門店「エイドショップアリス」も運営。研究開発に力を注ぐとともに、社員を養成校に通わせる「国内留学制度」の実施など、人材教育にも積極的に取り組む。

●追いかけた人

吉田剛(よしだ つよし)さん/1976年神奈川県生まれ。高校卒業後、早稲田医療専門学校(現早稲田医療技術専門学校)卒業。98年義肢装具士資格取得。同年洛北義肢製造部入社。現在製造一係主任。2005年義肢装具製作技能士1級取得。



取材・撮影/ミネルヴァ書房 
Copyright (C)  ミネルヴァ書房『義肢装具士まるごとガイド』(2005年発行)
38〜41頁より引用・転載